5 「斬新」と「ありふれた」という言葉

今度は類似の幅という観点から考えてみる。従来、「斬新な意匠ほど類似の幅が広く、同種類のものが数多く出れば出るほど類似の幅は狭くなる」(1)との指摘があった。その理由は「一般需要者の目の水準が高くなればなるほど、類似の幅は狭くなるといわなければならない。同種類の物品が数多く社会に出れば出るほど、またその物品の意匠の数が多くなればなるほど、それを見る機会に恵まれる一般需要者の目の水準は高くなる」というものである。類似の幅が比較的狭いものとして「昔から使いならされ、また沢山の意匠が考え尽くされているもの」を挙げている。一方、類似の幅の比較的広いものとして「新品種の商品」を挙げている(2)。

しかし、新規物品に関しては、何故、類似の幅が広いのだろうか。類似の幅が狭くなる説明として「(同種の物品を)見る機会に恵まれる一般需要者の目の水準は高くなる」というのは理解できるが、その反対の場合、「(同種の物品を)見る機会がほとんどなければ一般需要者の目の水準は低くなる」から「類似の幅が広い」という説明には奇妙な感じを受ける。

新規物品の場合、事例の数が一つであるため、プロトタイプを作成することができない状態だと考える。即ち、上記のReed,S.K.氏の実験において、被験者が事前に複数のマンガの顔を見ていない状態で判断を行ったようなものであり、相対的な評価ができない状態での判断であると考えられる。

プロトタイプを構成する多くの特徴が抽出されておらず、形態の基礎的な特徴だけがその形態の評価を決定するのに用いられている、としたらどうか。そうであれば、特徴が少ないのであるから、その特徴さえ備えていれば類似と判断され、類似の幅が広くなると考えられる。

上記の宮滝氏の表(B/2/2統計的手法による類否判断)には、「ありふれた」という言葉が分類の条件として記載されている。これは、まさに複数の事例の存在を問題にしているように思われる。そして、具体的態様は、プロトタイプに馴染みそうな概念に思えるが、基本的構成態様は、プロトタイプという考え方に馴染まない別の種類の概念だと考えられる。

(1) 高田忠著「意匠」(有斐閣、1969年)150頁
(2) 高田前掲(1)150〜151頁

(2008/1/4)

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