5 立体と平面

ギブソンは、以下のようなギリシア画家の話をしている(1)。「ある画家がブドウを完璧なまでに模写したので、その絵は鳥がやってきてついばむほどであった。すると彼のライバルはそれにブドウを覆う薄物を描き加えた。それはあまりにもうまく描かれていて、くだんの画家が思わず絵からつまみ上げようとしたほどで、かくてライバルの方が打ち勝ったというのである。」

しかし、ギブソンは、この話に対して否定的である。すなわち、目が騙されることは、観察点を固定し、狭い視野の単眼視をしている場合にのみ生じ、これは真の知覚ではないとする。そして、固定したカメラのように考えられてきた目だけが騙されるのであり、実際の両眼視覚システムでは、そのようなことはありえないとする。

具体的に、風景が表示されている絵画や写真を見る場合を考えてみると、絵画のキャンパスや写真の印画紙(印刷物の場合は紙)という物体がそこに存在することを知覚し、同時に、その物体の一つの表面に視覚に訴える絵や画像が表示されていることが知覚されている。

上述したように、絵画や写真の物体としての存在は、視点の移動に伴ってその見え方に変化が生じるが、絵画や写真に表示されている風景の遠近感は、視点の移動に伴ってその見え方に変化を生じない。人間は、絵や画像を知覚する場合、それが表示されている平面をきちんと認識している。

こうしたことは、立体的な物品と織物地のような平面的な物品がはっきりと別のものとして知覚されていることを意味する。立体物であればその立体物の「面の面との関連性」が認知の基礎をなす。一方、織物地である場合、こうした「関連性」は模様を構成している「大きなかたまり」相互間に存在すると考えられる。例えば、複数の船の模様が並んで全体の模様を構成している場合、その船の一つ一つがこの「大きなかたまり」になる。立体物そのものなのか、それとも面に表示されている模様なのかという判断さえはっきりすれば、その後の視覚の処理が両者の間で大きく異なるとは考えにくいからである。

(1) J.J.ギブソン著/古崎敬・古崎愛子・辻敬一郎・村瀬旻共訳「ギブソン生態学的視覚論」(サイエンス社、1985年)297頁

(2008/1/4)

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