4 テーブル板の問題

ギブソンが長方形のテーブル板はどのように見えるかということについて次のような説明をしている(1)。

「たとえば古くからの問いであるが、テーブル板のような長方形の面はどのように知覚されているのかという問題を考えてみよう。可能な限りのあらゆる視点を考えると、長方形の場合、見ることのできる形態には実に多くの台形があり、長方形はその中の単に一つの形態にすぎず、目が面の中心に対し垂直線上に定位されるときにのみ見られる形態である。」

こうした知覚は人間が動くものであり、その動きにつれて視点がどんどん移動するからである。もっとも、視覚は移動する生物にのみに備えられた能力であるから視点が動くという表現は、当然の前提を条件として提示しているので適切な表現ではないかもしれない。

形の知覚というのは、非常に複雑な脳内の処理が関係しているように思える。長方形のテーブル板の場合、長辺側から離れて見るならば、短辺はより短く見えるはずである。それも台形の斜辺として。それなのに、テーブル板の形状そのものが変化したとは知覚されない。

もし、人間の知覚が形態の「長さ」を重視しているとすれば、テーブル板の知覚の説明が難しくなる。テーブル板の各辺は、人間の移動に伴ってどんどんその長さを変えてしまうからである。これでは、少し移動しただけで周囲の物体の様子が変化してしまい、歩くことさえできなくなる。したがって、「長さ」ではなく何らかの形態の性質を知覚の基礎にしているということである。

この問題には、「知覚の恒常性」が関与している。知覚の恒常性とは「我々の見る条件が変化しても、対象の特性は、意識においては一定であろうとする傾向がある」ということである(2)。

視点の位置が移動しても、テーブル板の形が一定であろうとする場合、テーブル板の長辺と短辺の「長さ」や4隅の「角度」は変化するものとして捉えられているから、長方形という形が恒常的に保たれる。そうすると、脳内の知覚の処理においては、「長さ」や「角度」というものは、対象の形態を捉える基礎的な要素にはなりえない。このように考えてみると、「長さ」は形態の特性そのものではなく、形態の二次的な情報として取り扱われていることが伺える(これは、後述するプロポーションの取り扱いについて示唆を与える)。

また、テーブル板などの知覚対象が存在する環境は、文脈(context)として利用されている(3)。例えば、視点が移動してテーブル板の形が変わる際、その文脈として自分がどのような位置に移動したのかということをテーブル周辺の景色の変化から判断している。人間が形態の知覚を行うためには、文脈情報が必要だということである。なお、「文脈」という言葉は、本来、文中での語の意味の続きぐあいという意味であるが、比喩的に筋道や背景などの意(例えば、「文脈をたどる」「政治的文脈で読みとる」)にも使用される(4)。ここでの文脈という言葉は、この後者の比喩的な意味合いで用いている。

(1)J.J.ギブソン著/古崎敬・古崎愛子・辻敬一郎・村瀬旻共訳「ギブソン生態学的視覚論」(サイエンス社、1985年)79〜80頁
(2)M.W.アイゼンク編/A.エリス・E.ハント・P.ジョンソン−レアード編集顧問/野島久雄・重野純・半田智久訳「認知心理学事典」(新曜社、1998年)274頁
(3) アイゼンク前掲(2)275頁
(4)広辞苑「文脈」の説明

(2008/1/4)

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